金曜日ですね。
我が家は、平和です。

とても仲良くしてます。

たまに、喧嘩してますけどね。
それはそれで、
しあわせ感溢れてこちらまで
しあわせになります。

この子たちは、
人間たちと違って
ちゃんと調和して微笑ましいんですよ。
私も、境地に置かれて
尚更、
自分を曝け出して、あー無理だ。
の連続で。
だけど、1日も休まず
フォローをしていますけどね。
人形みたいに!
私のために動いてない!
何をしてくれたね!
(車椅子で散歩したい)
言葉が飛んできてますね。
私が暇だと思ってますからね(笑)
主人が横で、
そんな事言うなら、何もせんばい!
とか、言ってますけど
何言っても無駄な世界なんです。
黙って聞いています。
何のフォローもしない!
これは
なんか、2度目に聞く言葉のような
気がしてます(笑)
してますけどね。
しててもダメな世界なんだと悟っています。
日々、自分なりにしていても
他人から見れば
実は、私の力は足りないと映ります。
立場とか、
するべきとか
そんなところです。
あ、もう昼過ぎましたが
母のおかずは、かぼちゃと豆腐と
厚揚げの煮物とあんぱん。
常に、いろいろ
気を配りはしています。
必ず誰でも、終わりがあって
その過程で、
苦しみもあるでしょうから
それを特定の人に矢を当てずに、
(言いやすい相手だけ)
日々は、
しあわせを強調せずに
怒らずに、過ごせれる余裕が
あるといいですよね。
誰でも
後悔があったりはしますよね。
嫌なことや辛い事もあります。
悔しいことだってあたり
前にあります。
失敗して負けたり、
こういう事があるのは
多分普通の事。
だからこそ
幸福に気付けるとかも
あります。
人間ですから、
今、しあわせでないといけない。
みたいな…。
今すぐ!みたいな
境地を、介護で
見せられていますが
わたしは
それを叶えてさえあげれないです。
楽にさせてあげる方法が
分からないです。
母をしあわせの段階に
持っていくのは
わたしでなくて、母自身ですけどね。
とは言っても
状態が悪ければ、苦しいのも
分かります。
私の母は、亡くなる寸前まで
痛い、辛いと言わずに
穏やかでした。
私もその穏やかさに
ほっとした記憶があります。
それが、薬の作用だったとしても
(緩和ケア)
尊厳された中で、
パートナーの方がずっと横に
居てくれて
母はしあわせだったでしょう。
痛みだけは辛いですよね。
私自身も、最終段階では
いっそ何も痛みがない世界に
置いてほしい。
それは、よくない発想なのか?
(笑)


