昨日の今日ですので
しずくとゆっくりしています。

昨日、父に会い、
すごく動揺してるとかは
ないので、ご心配なく(笑)
もう十分すぎるぐらい生きてきて
昨日は、笑顔で話せてますので
何の悔いもありません。
人は、大なり小なり
悩みは抱えていて、言わずに
過ごす事も理想で、賢い生き方だとは
思っています。
私は、1人で田舎に来て
孤立した中での田舎生活の中で
迷いもありましたし
いろいろ経験させてもらって
結局は、まわりには感謝しています。
成田祐輔さんが、
ご自分の生きてきた軌跡を
話された時に、
何か、通じるものがありました。
私もほっとする場面もありました。
一概に、
何がいけないとか
謹んで生きろとかは、多分なくて
例えば
人には、言えない
深い心の傷を、持っていたとして
忘れればいいですが、
人生の一部なので忘れようがない事で
仕方のない事。
それは、それで
勲章みたいなものだから
言う、言わないも自由で。
誰でも
気落ちせずに生きてほしいです。
宗教的に言えば
黙っている事が素晴らしいと
又自分の為なんだとなりますが。
私は、
知らない人でさえ、
共有出来る部分は、参考にしたいです。
そんな事は、誰にでもあって。
何がいけないとか
悪いとかはないので
大丈夫です。
自分の内面に向けながら
(例えば、私は公の日記ですが
見たくない人は、見なくていい仕組み)
誰にも見られない日記を書いて
整理をしていくと言う作業は
わりかし、
自分を整えるのには、良いかなと
私は
思っています。
辛さが半減するとかじゃないのですが
いろいろ知る事が出来ます。
いつか、その意味が分かれば
捨てていいし。
他人に依存しない分
人間関係も良好になる気もします。
内面的な世界は、
心の居場所みたいなところがあるから
1番
安心な場なので、
一人芝居と言ったらおかしいですが
暇を作らずに、
自分だけの時間を大切にしてほしいです。
団体行動よりも、孤独感で
生き抜く方が知恵も出てきます。
団体というのは
纏まるはずもなく、
いつかは、解散しますから
(安全はないから)
淡々と生きてほしいなとよく
思います。
外側で生きている人がたくさん
いて、
誰かが師匠だったり
誰かに寄り添って
外的世界に
居場所を見つけようとした場合、
その人が居なくなれば
終了してしまいます。
私もよく怒られますけど
(笑)
誰かに
依存症的になるのは
よくある事で、
いけないとかでもないのですよ。
自分が落ち着く場は
誰でも必要ですよ。
ひとりぼっちの意味を履き違えないで
信頼し合えるネットワーク的な
空気の様な、家族は、
理想です。
(1番の勉強の場)
私は、何も言う権利も持ってない
一般人ですけど。
外側の世界でばかり、生きていれば
後から
見渡してみれば
いつしかその
流れの中でしか
生きていけなくなり、
気づけば心を失っているような
気がします。
(遅いんです)
固執するというか、
がんじがらめになってしまいます。
大事なのは、
自由な自分。
父も許しています。
気落ちもしてませんよ。
大丈夫ですし、
むしろ元気です。


