おはようございます。
お天気ですね。
あたたかい1日になりそうです。
佐世保でモーニング。
メニューが新しくなりましたが
私は、決まってハムチーズトースト。
第三の目。
三眼像が意味するものは
何かな…
自分自身を見るもう一つの目が
ほしいという思いが、3つになるのかな。
数年前、当時青年であった方が
自分のこめかみを指さして、
僕は、まだここが詰まっている。
そう、私に言いました。
第三の目を指さしていたんですね。
現実は、二つの目で見て
知っているんです。
もう一つの目…。
心の眼も見えているんだけど
葛藤があるんだ。
私には、そう聞こえました。
裸の王様って童話がありましたね。
それを例えてみると分かりやすいのです。
権力があるばかりに、
物事の本質を見失ってしまうお話です。
悪人には見えない着物を作るという
ペテン師の話を間に受けた話です。
王様をはじめ、大人たちは
すっかり騙されたんですね。
本当は見えないのに、
見えないと言えば、バカにされる
あるいは、悪人だと言われたくないために
大人たちは、
見えないのに、見えると言ってしまう。
自分自身は、違うと分かっていながら、
葛藤があるにも関わらず、
見える振りをするのです。
無邪気な子供だけが、
葛藤すらないこどもだけが、
ありのままの真実が見えているんです。
ありのままが見えています。
邪気がないから無邪気。
その当時の青年は、呟きました。
そこに気づいているのに
分かった振りをして
さまざまな言葉に
がんじがらめにされていて、
自分を縛り付けているんです。
自分が裸の王様だと気付けばいい話です。
とってつけた様な
かっこいい話はありません。
言葉の魔力に縛られて、
物事の本質を失うほど危険な事は
ありません。