自分を知るって大事。
知り合いの住職の方が、
朝5時から、座禅しながら、
読経、行粥程度で
お茶を濁しての生活だけに、
摂心時になると
心が痛む時があるそうで…
これだけの長い僧侶でも、
そう感じるのかと
私も自然に涙が出てきました。
私は、200歳になっても、
こんな感じなんでしょうか(涙)
禅僧に取っては、12月1日から8日まで
年に一度の
臘八摂心は修行の根本だと、
今日、知りました。
満月🌕に、道元は、何を思ったのかな。
「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりて」(道元)
自然のあるがままの姿をうたったものです。
自然のように、
物事も「あるがまま」を見よ、と伝えています。
そして受け入れる。
受け入れるには、
自分が変わるしかないですよね。
容易い事のようですが、難しいですね。
「あるがままに」が分らないという事は
大海の中にあって水がないのと同じ。
あるがままの貴方の姿を見て悟ること。
受け入れること。
自分だけが、良ければいい自分でもなくて、
今日が、ハッピーだったら良いとかでもなく、
あるがままの自分を知る。
その自分。
自分ですよ。の意味、私なりの解釈。
あるがまま、自らの仏性を知らなければ、
大海の中にも水をみることはできぬ。
道元が言いました。
今なら間に合うとか、
人に対して、問うのではなく、
私という人間を変えようとするのではなく、
自分を変えるしかないんだと
思っています。